透明な父親

「透明なゆりかご」は、ある産婦人科医が舞台のベストセラー漫画。この夏からドラマ化もされている。

 

脆くも強固な母子関係が大きくクローズアップされ、「父親」はほぼ透明な存在。

 

産科は、医師を除ければ女性の世界。

 

付き添いの父たちは、結局は妻の痛みや不安を共有できず、下手に「がんばれ」ともいえないから、半分透明な存在となって見守るしかない。

 

これから母になろうとする、あるいはなった女性は、(夫へ愛情が1/100~1000くらいになると同時に)、男には絶対理解できない心理状態になるらしい。

 

この命を無事に育てていけるのだろうか?という不安と責任感が、胎内に命が宿ったと知ったその瞬間から、何よりも重くのしかかる…と、単純にはいえない。

 

この作品から、出産前後の妻がうまく言葉にできなかった混沌とした内的変化が、わずかながらも読み取れたような気がする...なんて、またまた軽々しくもいえない。

 

女は命が宿ったその日から母の色に染まっていくが、男はいつになったら、父の色づきを見せ始めるのだろうか。

 

未だに「子供がいる」という実感のないのが、乳児の父の本音。

 

でも、「オトーサン」という単語が子どもの口から初めて出てきたとき、産科の待合室で透明だった無自覚な男たちは、父になったことを初めて実感するのだという。

 

子どもが父を父として認めるとき。

 

それが、いてもいなくてもいいような微妙な存在であった男が、透明でなくなる瞬間なのだろうか。