空海の背景

 

 和歌山市~徳島市~松山市につらなる、紀伊半島北部から四国北部にかけて、東西に延びる、谷間にできたような長い平野部がみられる。

 

 子供の頃、ここだけなぜこのように直線状の平野部になっているのだろう?何か大災害の爪跡なのではなと興味津々だった。

 

 中央構造体は、実は長野の諏訪湖周辺を起点に、東は茨城の鹿島市、西ははるか熊本市まで連なる、日本を南北に分ける大断層だと知った。

 

 アフリカ東部にも、北はイスラエルから南はモザンビークまで伸びる7000キロの「大地溝帯」という大断層がある。

 

それと比べたらはるかにかわいいものだが、大地の裂け目たる断層は、内部の物質を地上に表層させる部分でもある。

 

アフリカの大地溝帯には、一部放射線が非常に強い箇所があり、それが人類に突然変異をもたらした...というのはこの項とは関係ない。

 

中央構造帯付近は、日本でも貴重な水銀の産地が多いという。

 

水銀はもともと赤い色を含む鉱石。伽藍の赤い塗料や、金と混ぜてアマルガムという合金にし、それを仏像に塗る金箔の材料になったという。

 

仏教伝来当時、飛鳥時代から平安時代にかけては奈良の大仏など仏教寺院の建設ラッシュだったため、水銀は大変貴重な鉱物資源だったにちがいない。

 

さて、空海には「空白の11年」という謎の修行時代がある。

 

官僚養成学校をドロップアウトして仏教に目覚めた佐伯真魚は、奈良や和歌山の山奥、あるいは険峻な四国の海岸線を歩き回る。

 

そして室戸岬で明星が口中に入り、空と海との一体化を感じ取って「空海」と名を改め、修行時代を終えたという。

 

この間、重要資源だった水銀の鉱山を、先に述べた中央構造帯のどこかで探り当て、その商業生産を始めて莫大な資産を蓄えたという、山師的なこともしていたらしい。

 

もっとも、空海は治水事業などにも携わった土木技師でもあったから、実は山歩きを苦にしない、鉱山技師(あるいは山師)が本職だったのかもしれない。

 

この空白の11年は、いずれにせよ、各地を歩き回ることで、修行と事業を兼ねたものだったようだ。

 

いや、事業が修行そのものだったのかもしれない。

 

空海は、この時代に中国東北部に栄えていた交易国・渤海の商人と提携し、京都の舞鶴から唐向けに水銀輸出を行っていた形跡がある。

 

真言密教の開祖。土木技師。水銀輸出企業の社長。書道の天才。足や口でも流麗な文字を書く五筆和尚といった姿は、万能の天才・空海のほんの一側面にすぎない。

 

31歳になって、空海は遣唐使船で留学、西安の都でついには密教の秘術を会得する。

 

遣唐使では、最澄のような国費留学生が中心だった一方、彼は私度僧(私費留学生)だったが、いったいその莫大な留学資金はどこから工面したのだろう?

 

実家、貴族、大商人のようなパトロンがいたのだろうか?

 

 いやいや、実は、水銀輸出という当時のベンチャービジネスで莫大な資産を築いた青年実業家であり、その資金こそが、彼に「密教奥義の探求」という身の自由を与えていたようである。

 

 帰国後、京都の教王護国寺(東寺)や高野山金剛峰寺などを建立。

 

「仏教」という国家思想に深く関わり、さらには当時の最高権力者(嵯峨天皇)の師でもあったという空海とその背景にある真の姿に、興味は尽きない。