日本語はどこから来たのか

 日本語はどこから来たのだろう?いつから、私達はこの言語を話すようになったのだろう?

 

 たしかに、言葉は時代や世代によってかなりちがう。

 

江戸時代と現代ではまるでことなるし、女子高生間でもちいられる言語が、我々おっさんたちのものとはかなり違うが、骨格は同じ。

 

多分、時代や世代が違っても基本的な意思疎通はできるはずなのだ。

 

だから、いつの時代の人々までなら意思疎通が可能か?を考えれば、日本語の成立時期が伺える。

 

 さて、言語の形成は民族の形成過程と同じと考えるのが自然。

 

日本に流入した民族がどういった言語を使っていたのか?を調べると、日本語成立の手がかりになる。

 

 

1.縄文人の言語

 

 縄文人の言語は、現代のアイヌ語に近いという。

 

 縄文語とは、最終氷河期が終わった1万年前、海面が上昇して日本と大陸が分離し、日本に残されてしまった人々が主に話していた言葉。

 

 縄文人の日本流入経路は、①シベリアバイカル湖付近からの北方経由 ②東南アジア方面からの南方経由 ③朝鮮半島付近経由 の、いずれも陸路。

 

 要するに、それら流入民たちの言語が混じり合ってできたもの。私達の一番遠いご先祖様たちの共通語。

 

 

2.弥生人の言語

 

 紀元前1000年ごろから、日本で稲作が本格的に始まった。

 

稲作は大陸からの渡来人が伝来させたが、では、その大陸人とはどこから来たのか?その人々が話していた言語は?

 

 古代中国の稲作は長江流域、特に下流域の上海付近が最も盛んだった。

 

紀元前、そこには呉越人が住んでおり、「百越語」という、今の中国語とは明らかに異なる、意思疎通できない言語を話していた。

 

 「越」は古代中国南方の総称で、ベトナム北部まで含まれる。

 

稲作、顔への入れ墨と、百越人とは共通文化の多い初期の弥生人たちは、どうやらその百越語を話していたようだ。

 

それが土着の縄文語と混じり合って、弥生時代の日本語になった。

 

  地方通しの行き来が活発でなかった分、まだまだ方言の違いは大きかったとは思うが、おそらく、日本語の骨格はここで固まったのではないか。

 

 

3. 扶余人の言語

 

 古代朝鮮半島は、①高句麗 ②百済 ③新羅 の3カ国鼎立状態であった。

 

高句麗と百済は、中国北東部が発祥の騎馬民族・扶余族の国。

 

一方、新羅は旧石器時代からいた韓国の縄文人に、万里の長城より南にいた現在の北京周辺の人々が混血したものだという。

 

 現代の朝鮮民族は、どうやら新羅に移住した漢人+朝鮮半島の縄文人的人々、これに朝鮮半島から追い出された扶余族の残党が混ざり合って形成された。

 

韓国人は漢人系統だから、百越人系の日本人とは、民族的系統がかなり異なる。

 

 7世紀後半、唐・新羅連合軍との戦いで、日本に仏教などの大陸文化を伝え、最大の友好国だった百済が滅ぼされた。

 

その時、大陸の進んだ文化を持った百済難民が、何十万人と日本にやってきた。

 

 彼らは技術や文化の担い手として、国家運営の中枢を担うこととなる。

 

だから、当時の日本語形成にも計り知れない影響を与えたに違いない。

 

その後、日本はほぼ鎖国状態になって、外国との交流があまりなくなっていく。移民の大量流入も、扶余人が最後だった。

 

漢字をもとにひらがなやカタカナもでき、言語が書き言葉として全国に流通し始めたのも、奈良時代以降、その後200年のこと。

 

平安時代までは、日本語は成立した。現代人と弥生人は、言語を介した意思疎通は難しくとも、平安人とはなんとかできるはずだ。