ご先祖様はどこからきたのか

 

  日本人は、縄文人をベースとした、大陸系移民とのミックス。

 

 弥生時代には、大陸からの亡命者が、なんと数十万人単位に及んだという。それ以前は30万人足らずの人口だった日本。国民の遺伝的背景は、あっという間に塗り替えられた。

 

京都の太秦を根拠地とした秦(はた)一族も、16万人規模(諸説あり)という大集団で、34世紀の古墳時代に中国からやってきた。

 

大陸の進んだ土木技術を要した彼らは、権力者のブレーンとして国家運営の中枢を担う。その家系をたどると、はるか旧約聖書が編纂される前のイスラエルに行きつくという。

 

国を追われたのち、この技術者集団は、時には始皇帝に使え、ときには聖徳太子に使えてと、流れ流れてたどり着いたのが、東の最果てにあった日本だった。

 

秦氏=ユダヤ人一族という、かの有名な日ユ同祖説がこれ。世界各地でその時代その時代の経済の中枢にユダヤ人がいたことを考えると(トランプ政権でさえそう)、あながち否定もできないのではないか。

 

さて、人生も半分くらい生きると、自分自身のルーツが気になりはじめる。

 

「家系」という身近なルーツ以上の、もっと大きな、日本人としてのルーツ。

 

たぶん、子どもができてはじめて、彼に受け継がれた自分の血は、逆にどこまでさかのぼれるのだろう?なんて好奇心が刺激されるからなのだろう。

 

ご先祖様の歴史を知りたいと思ったら、まずは、弥生時代以前の大陸史を知る必要がある。

 

今から4000年ほど前、中国に「夏()」という王朝が誕生した。

 

1万年前から始まった農耕文明も、順調だったわけではない。当時は世界的な気候変動期。中国も例外ではなく、洪水と干ばつが年替わりに起こった。

 

そんな時、「禹(う)」という名の青年が黄河中流域の治水事業を推進。ついには洪水を克服して衆望を集め、中原に「夏」という王国を建てた。これが中国のはじまり。

 

ところが、私たち日本人ととくにつながりが深いのは、長江下流域の、中央からは「東夷」と蔑視されていた民族。麦などを麺や団子にして食べていた北部と異なり、日本人と同じお米が主食だった呉や越の国の人々だ。

 

戦乱を逃れて、あるは信教や何かの自由や新天地を求めて故郷を脱出。陸伝いに船で朝鮮半島から日本へとたどり着いた。

 

中には、台風に流されてそのまま九州へ直行してきた漁民もいたかもしれない。

 

あるいは、秦氏を通じて日本人の遺伝子のどこかに入っているかもしれないユダヤ人たちは、なぜはるか日本まで流れてきたのだろうかと、その民族興亡史、つまり旧約聖書にも触れてみたくなる。

 

実は、私の子どもは32分の1イギリス系ユダヤ人の血を持つ。妻の祖母の祖父が、明治の中期にイギリスからきた貿易商。今は神戸の外国人墓地に眠る。

 

いずれ息子は、身近な世代に外国人の血を持つ自分のルーツに、強い興味を抱くことになるのだろうか。

 

一緒にヨルダン川のほとりを歩こうよ。お父さんも「農業発祥の地を見るのが夢だった」って話してたじゃない、とかなんとか。

 

時代が下って、7世紀には朝鮮半島の百済(くだら)が滅亡。そのとき、数十万人単位の難民が、友好国だった倭国(当時の日本)に亡命してきている。

 

ちなみに、平安京を作った桓武天皇の母方の先祖は百済の王様だったひと。百済人はまぎれもなく、皇族のご先祖様だったのだ。

 

あと、日本に仏教を伝えた百済の人々は、今の韓国・北朝鮮人の直接の先祖ではなく、中国は吉林省あたりにいた騎馬民族が発祥である。

 

まとめると、現代の日本人にとって遺伝的影響が大きい民族は、古い順から

 

1.縄文人

2.呉越人

3.ユダヤ人 

4.百済人

 

といえるようだ。