この年になると、親孝行でもしたくなる。
秋田から上京してきた母を連れ、国立能楽堂で狂言をみてきた。
以前、薬師寺で奉納狂言に触れたことがあった。腹の底から朗々と湧き出る歌声と、静まりかえる会場に響く笛や鼓を、あの緊張感のなかで、また聴きたくなった。
「国立」といっても、東京体育館や津田塾大学の近所の住宅街にあるような、めだたない建物。
ところが、由緒ある伝統芸能。会場へはいると、
「女の世界にも政治があるンざます」
みたいな山の手オーラを醸した家元の奥さまたちが、背筋を伸ばしたいんぎんな態度でお出迎え。
客層もまた、パレスホテルあたりのラウンジでお上品かつお優雅なひととき過ごしているような。うしろの女子大生たちでさえ、銀座シックスの蔦屋で詩集でもえらんでいそうな。
目先のちいさな散財が得意な、つまりユニクロやマックやドンキにたまる層とは、対極にいるような人類種が集まっていた。
あまりの毛並みのちがい。この人たちは、わだすら(私たち)秋田県民とおンなじ人類なんだべがと思ったし、「格差社会」を感じずにはいられなかった。
エミシかクマソが花の都にでてきたような中高年親子には、場違いな能楽堂。しかし、人間国宝たちの八十路越えとは思えぬ圧巻のふるまいに見惚れた。
演者たちの生命の波動に、わだすの魂はふるえた。
十分な親孝行だと思ったが、カーネーションを送られた母の顔は、微妙だった。