農薬に対する考え方

世界中に農薬が普及し始めたのは、アメリカでは戦前から、日本などは戦後。その頃はまだ、残留性の高い、つまり直ちに健康被害のあるような農薬が使われていた。

 

6070年代に入ると、豊かになった反動で健康被害の改善を求める声が高まった。政治家が動き、規制がかかり、ようやく自然や人体に配慮した農薬が開発され始める。

 

その間にも水田や畑から微生物が消えていったが、きわめつけは2000年代に入ってからのミツバチ大量消失事件だった。

 

農薬に含まれるある化学物質がミツバチの生態系に大ダメージを与え、農作物が受粉できない(果実をつけない)という、いわば人類存亡の危機が起こってしまったのだ。

 

それらも次第に解決され、そして現代にいたる。

 

もっとも、「農産物の表面に農薬が残留する」ということは、基準値どおりに使用していれば、日本の農産物ではまず起こりえないらしい。

 

ただ、農薬を使えば使うだけ、農産物の体内にそういうものは残る。実際、果物の果肉の中からも農薬成分は検出し、キャベツなどは4枚目まで農薬が浸透している。表面と違って、ちゃんと検査しなけばわからない。

 

だから、可能なら農薬使用量はぎりぎりまで抑えるか、できれば使わない方がいい。

 

消費者にとって、心理的な安心感もちがうだろう。

 

体内の化学物質の蓄積は、おそらく放射能と似たようなもの。

 

ただ、何十年と蓄積されて、健康被害で出てくる人と、出てこない人がいる。たばこを吸いすぎても肺がんとは無縁の人もいるのと同じ。

 

しかし、健康になんらかの問題が出てくる確率は高まるのだろう。

 

アレルギーは現代病ともいわれているが、アレルギーとは、体内に侵入してくる異物を攻撃する免疫システムの過剰反応のこと。

 

農薬だって体にとっては異物そのもの。免疫が過剰に攻撃するから、かゆみ、赤身、蕁麻疹となって症状が出てしまう。

 

ちなみに、アナウンサーの福留功男さんは、アメリカでブルーベリーを食べたところ、残留農薬が原因でアナフィラキーショックを起こし、生死の境をさまよったことがある。

 

これは極端な例だし、何十年後に健康被害が出たり、あるいは遺伝的形質に変化が出る場合は、世代を経てその影響が出てくるのだろう。

 

しかし、枝野大先生が必死に国民の不安を鎮めようとしていたように、直ちに健康被害はない。

 

だから、日々の生活で農薬がどうこうと、ふつうの人々が意識することはまずない。

 

貧しかった昔は質より量だったから、農薬の大量使用に目をつぶるところもあった。それに、化学も進歩していなかったから、今から考えたらありえないような農薬の使い方をしていたのだろう。

 

しかし、現代に入って、格差社会も広がって、農業技術も進化して、

 

・農薬を使ってない

・従来の半分以下

・基準通り

・基準以上

 

この4種類の農産物を、価格に応じて消費者は選択購入するようになっている。価格は上ほど高いから、残念ながら、個々人の購買力で、体内の農薬蓄積度が決まってしまう。

 

私個人はまったく裕福ではない。

 

しかし、野菜は見た目が悪くても第一に安全性、第二に味で、容姿なんかどうでもいいし、コメは農薬使用をぎりぎりまで抑えたようなものいい。

 

細胞分裂が活発で、アレルギーにも敏感そうな子どもには、特に望ましいと思う。

 

だから、購買力以前に、個々人の意識の問題なのだろう。

 

私自身が、値段はちょっと高くても構わないし、ちゃんと選んで食べさせてあげたいと思う派。

 

 

だから、お米においても、そういうお米を、そういう意識のお客さんに気持ちよく販売できたらと思う。