子規庵は、上野の国立博物館から谷を下っていくような、鶯谷(うぐいすだに)にあった。
「子規」とは、教科書に出てくる顔写真の中で、史上もっとも落書きの対象となっている、正岡子規(ノボさん)のこと。
20代の早い時期から結核を患ったノボさんは、ほとんど動けなかった。
しかし、母や姉、数多くの友人たちに助けられながら、このひとの大宇宙はいよいよ膨張し続けた。後の世は、言文一致の現代文章の礎を築いた「出版界の神様」と、ノボさんをたたえた。
「ちょっと寝てみますか?」
他に誰もいないからと、子規庵保存会のひとが、ノボさんが7年間寝たきりだった同じところで、彼の宇宙を体験してみないかとすすめてくれた。
殺風景な板天井。庭の草花。居間にいた家族や友人。たったそれだけが、ノボさんの外的全世界だった。
俳句や評論の一方、いのちあるものを、それ以上にいのちある色づかいで、絵もたくさん描いた。
時空を越えてつたわる、色鮮やかな波動ともいうべき、ノボさんのほとばしる生命力。
ひとは、肉体で物理的に生きているのではなく、外界から伝わる感覚と脳内宇宙で、自分のいのちを感じている。
それが「生きている」ということなのだろうか。