干し柿と伊400

  広島から九州にかけて、YoumeTown(ゆめタウン)というショッピングモールがある。

 

 ピンク地に白文字の看板だから、イオングループかと思いきや、実はある男が文字どおり裸一貫で築き上げた、地方発の一部上場企業であった。

 

 筆者は一時期広島にいたことがある。このショッピングモールにはよく行っていたから、あー、あそこの会長か!と、テレビを見てびっくりした。

 

 この帝国を築いた一代の傑物の人生が、マンガ以上に面白い。

 

 太平洋戦争当時、アメリカ東海岸のワシントンやニューヨークを直接爆撃してやろうという大奇襲作戦が、山本五十六によって立案された。巨大潜水艦に爆弾をつんだ飛行機を搭載し、南アメリカを迂回して遥かワシントンを急襲するという、成功したら絶対映画になっていそうな大作戦だった。

 

 3年をかけて建造されたのが伊400。全長122メートル、無給油で世界を1周半するという大潜水艦だった。実際、2012年まで世界最大のレコードホルダーだったという。

 

 ところが、完成して初めて出撃したのが昭和206月。もはや硫黄島は陥落し、大和は沈み、本土決戦間近でアメリカ東海岸を奇襲どころではなくなった。そのため、完成したばかりの伊400に与えられた使命は、ミクロネシア沖に停泊する米艦隊への特攻作戦であった。

 

 幸か不幸か、目標地点に到達したときには「耐えがたきを耐え…」の玉音放送が流れて終戦。「このまま米艦に突撃しましょう!」という強硬派を抑えて、賢明な艦長は日本への寄港を決定した。

 

 そう、そのとき伊400の乗組員だったのが、のちのYoumeTown(イズミ株式会社)創業者である山西義政さん(92)。父がのんだくれのろくでなし、母は泣きながら割れた茶碗を片付ける、なんて絵にかいたような貧しさで、最終学歴は小学校卒。行商で家計を支え、終戦間際に海軍へ入隊した。そして、最大最強最新鋭の潜水艦だった伊400の乗組員に抜擢されたのである。

 

 ところが、山西さんが故郷の広島へ帰省したときには、原爆にやられて街は完全な焼け野原。家族も亡くなっており、天涯孤独の身になった。財産も家族も失い、文字どおり裸一貫からの再スタートだった。

 

 プライベート優先だとか、いい家に住みたいなどといっている場合ではない。生きるために働いた。伊400の乗組員だった同じ広島県出身の戦友から干し柿仕入れ、それを広島駅近くに設けたバラック小屋がならぶ闇市で売り始めた。戸板にのせて行商した。

 

  その後、干し柿からメリヤス下着に主力商品を変更。一代の傑物は生まれ持ったバイタリティがちがう。混沌とした戦後の動乱をたくましく生き抜いた。

 

 厳島での仁義なき頂上決戦に勝利を治めたかはわからないが、十数年かけて広島を勢力下に治める。当時、九州では日の出の勢いだったダイエーに負けじとスーパーマーケット業界に参入し、中国地方に覇を唱える現在に至る。

 

 戦後70年特集シリーズでNHKの番組に登場した山西会長。YoumeTownの食品売り場にぶら下がっていた干し柿を手にとり、「これが私の原点ですよ」と92歳とは思えないほどの明瞭な発音で、力のある瞳をしていたのが印象的だった。

 

 特攻崩れ、伊400の生き証人は、戸板に干し柿をのせて、焼け野原の広島で干し柿を売り歩いていた頃が、「一番楽しかった」という。

 

 若いから元気がいいとか、年をとったからもうダメだとかではなく、この怪物を見ると、いきもののバイタリティーについて考えさせられる。