7月某日、チャンギ小学校5年生の教壇に立った。 「米の国際流通について」というお堅いテーマながら、児童たちは好奇心に目を輝かせていた。240の瞳がまぶしかった。機会を提供してくれた先生方には、感謝の言葉がみつからない。 授業のエンディング。 準備してきたレイバンのサングラスをかけ、「うまれたときからあきたこまち」と墨書したTシャツに着替える。突然の変身にざわめく教室。静まるのを待つ。 「なぁみンな。『風立ちぬ』って映画観た?夢の中にカプローニ伯爵って出てくるやろ?あのヒゲのおっちゃん、少年時代の主人公にな、なンかかっこええセリフゆぅたよな。覚えてる?」 なぜか関西弁になる秋田県人。 「そうや、『創造的人生の持ち時間は10年だ。少年よ、力を尽くして生きなさい』や。どういう意味だかわかる?」 哲学めいた問答。 「人生には魂のすべてをぶつけてな、人生を創造できる期間が10年だけあるンや。人生は80年。その絶頂期の10年がいつやってくるかわからへン。10代から始まるかもしれへンし、30代、もしかしたら50代かもしれへン」 「人間の一生にはな、人生の価値を決める、そういう10年が誰にでも必ずあンねン。その時にな、知力・体力・時の運のすべてを賭けて、力を尽くして生きられるかやねン」 「君たちがな、人生の最後になって、『オレは十分に生きた、我が生涯に一片の悔いなし』と思えるかは、いつ始まるかわからへん、その10年の生き方次第やねン。宮崎駿はな、カプローニ伯爵のセリフを通じて、堀越少年、つまり21世紀を生きる君たちにそういうことを伝えたかったンや思うで」 「楽しいことだけやない。辛いことも、我慢せなあかンこともいっぱいある。幸せな出会いもあれば、辛い別れもある。愛する人を失って、心の中に大きな穴が空くこともある」 「でもな、君たちがもし、その10年間に魂を燃やして生きられるのなら、それはまさに君たちの『創造的人生』なンや。君たちが時代に生きたことの価値、この世界における存在意義、そして、地上の星となったことの証やねン。そして、そのとき燃やした魂は、必ず救済されるンや」 いよいよ。 「創造的人生とは、まさに冒険や。冒険なくして、創造的人生なんてありえへン」 ためと間を作って、声を張り上げる。 「そうや、人生はアドベン...」 ついに、ついにこの瞬間が、来た! 「ちゃあぁ~」 と、「ちゃあぁ~」の部分は声を裏返して変顔になり、半身にして腰を落とし、褌をちょっと引き上げる動作をする。 たむらけんじの出世ギャグをためらいなくパクリ!しかも小学生の前でブチかまし!魂を揺さぶる大演説から、この「ちゃあぁ~」へのオチはどうだ。3ヶ月練習したんだ。完璧だ。 このクラスにおける私の授業の痕跡は、数十年を経ても彼らの記憶から滅びはすまい。 瞬間よ留まれ、お前はいかにも美しい オレはいま最高の瞬間を味わうのだ。そして、その魂は救済される!! ... ... ... なンや、誰ひとり笑わへン。先生さえ固まってはる。「ちゃあぁ~」のまぬけな姿勢と変顔のまま、小学生の前で凍りつく。 ... そんな、日本海の鉛色の真冬がありありと想像されたため、 「人生はアドベンチャー・チャンギ小学校編」 は、妄想企画段階でボツとなった。 おしまい。 楽しいバケーションをお過ごしください。ご帰国後も、稲造米穀店をどうかよろしくお願いいたします。
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