シンガポールのヒエラルキー

 シンガポールは日本とは比べるべくもない格差社会。

 

 雑多な民族がいるから、民族ごとにある程度の階層が決まっている。階層は職業に大かなり分けられる。

 

 ヒエラルキーのトップにいるのが、もちろん人口の70%を占める中国系。ただし、本国からの移民を除く。

 

 中国系にも当然の如くヒエラルキーがあって、エリートと非エリートの差別化は、小学校卒業あたりで決定されると聞く。英語と算数の成績が、いい学校に行く秀才と普通の子供を分けるらしい。

 

 確かに、学校の成績だけがすべてではないけれど、建国の父であるリー・クワン・ユーという人は、そういう社会的仕組みを作ってしまった。

 

 で、中学から選りすぐられたエリートは、大体が公務員になって、国家の仕組みを整える人々になる。シンガポールの公務員は、その地位に見合った大変な高給取りだと聞く。ここでいう公務員とは、日本でいう国家一種とその他大勢の公務員という違いがある。

 

 現首相にしてクワンユーの息子でもあるリー・シェンロンの年俸は3億円だそうだ。

 

 じゃあ日本やアメリカはそうじゃないかといったら、やっぱりエリートは国家の中枢に行く。民間企業にいるように見えて、じつは元経済産業省とかだったりする。シンガポールは国が小さい分、それがよくわかる。ただし、人口420万人のニュージーランドがそうだったかといえば、決してそうではなかった。

 

 この国も、エリートと非エリートは、中学入学と同時に決まる傾向にある。エリートは年間100万円以上の授業料を払う私立の中高一貫教育高へ進学するし、その他は授業料完全無料の公立学校へ進学する。

 

 面白いのが、私立は夏休みも短く、びっしり勉強させること。一方、公立は夏休みが3ヶ月以上もあり、生徒はそのゆとりの中で、スポーツや課外活動にまい進…するわけがない。そういう過程を経て、20%のエリート層と80%の消費者層が出来上がっているというのがこの国だった。ゆとり教育の弊害が、もやは当たり前になって弊害でもなんでもなくなっていた。日本もだんだん変わらなくなってきているのではあるが。

 

 ただし、奨学金制度は日本よりも充実していたように感じた。そういう意味では、とりあえずチャンスを提供することで社会階層の固定化を防いでいる。大学生でも奨学金ローンを組むのであるが、成績がよければ、もちろん大学には無料で入れるし、金のかかる私立の学校でも授業料は無料だったようだ。このへんはアメリカや日本も同じ仕組みがある。

 

 面白いのが、エリート層はより高い収入を求めて、ニュージーランドから出て行ってしまう傾向にあること。行き先は、隣の豪州、あるいは本国のイギリスなどなど。東北や北海道のエリートが、地元の県庁で働かずに、東京やあるいは香港・シンガポールに出て行ってしまうのとよく似ている(私は非エリートだけど)。

 

 シンガポールに話を戻すと、ヒエラルキーでは、小学生から選りすぐられたエリート層がトップ、その下にいる中国系。トップ層の職業は公務員か金融投資関係というのがお約束で、この辺は富裕層と呼ばれる人々。

 

 日本では、福岡出身のホリエモンや孫正義さんが、不遇な境遇にもかかわらず、小学生時に神童と呼ばれた結果、後に立派な学校を卒業し、さらに大事を成し遂げている。こういう太閤立志伝が、シンガポールでどれだけ語られているかはわからない。階層が固定化しているため、雰囲気的にあまり出てこないと思う。

 

 マレー・インド系のお金持ちももちろんたくさんいる。ただし、権謀術数の限りを尽くして、努力に努力を重ねて一代でのし上がったとか、そういう人々ではなく、もともとマレーやインドでハイヒエラルキーにいた人々が、大金を要して近年の移民政策でドッと移ってきた面もあるようだ。

 

 建設や清掃といった肉体労働は、主にインド・マレー系の仕事。この辺はドバイに同じで、中国農村部から来た上海の建設労働者みたいな感じ。低賃金でまるで奴隷のようにこき使う…といっても、彼らは異様に勤労意欲が乏しく、労働生産性はかなり低いようだ。賃金に関係なく、あんまり働く人種ではないようだ。

 

 

隣接するジョホールバルから12時間以上かけて、バスで通ってきている人も大勢いる。中国人はその元締めをやっているか、彼らを指揮する現場監督者である場合が多いようだ。