稲作と日本のルーツ

 米を扱う仕事を始めるにあたって、稲作のルーツに興味を持った。

 

 それは日本人のルーツをたどることであって、国家の成り立ちを考えることとほぼ同じ意味であることがわかった。

 

 稲の世界的起源は遡ること太古の昔、現在のタイ・中国国境付近らしい。正確な位置は不明であるが、そのへんでもっとも古い稲の化石が見つかったのだそうだ。これが西へと伝播し、最初は長江下流域において、稲作が始まった。

 

 一方、稲作により定住文化が発展し始めたのは紀元前5000年頃というから、黄河文明の夏王朝の時代。農耕により、持つものと持たざるもの、つまり貧富の差が生まれ、持つものがやがて権力を持ち、豪族、そして王となり、国家が形成されていった。

 

 中国は7000年も前にこれが始まったのであるが、日本でこれが始まったのは弥生時代に入ってからだから、たかだか2500年前。卑弥呼の時代のちょっと前に、九州では各部族が邑や国を形成し、中国に使者を送って「倭王」として認めてもらおうとしていたのは、教科書にも出てくるとおり。

 

 そもそも、稲作は中国の上海付近から海を越えて熊本か宮崎あたりに伝来したか、または朝鮮半島経由で北九州に伝わったそうだ。東南アジアから台湾を経て、宮崎あたりにやってきたという説もある。

 

 どれにしろ、そのような形で、日本に稲作と、そして貧富の差、権力の有無、つまり国家形成の根本が伝わったようだ。

 

 誰が伝えたか、ということが重要になる。

 

 弥生時代開始当時、中国は始皇帝が中国を統一した頃と重なる。各王朝の王族はどこかに逃亡したはずで、行き着く先は、南方はベトナム方面、西方は海を越えて九州、北方は中国東北部から韓国にかけて、そしてその向こうの北九州や出雲だった可能性は、極めて高い。

 

 新発見された大陸は、アメリカもそうであるが、故国で虐げられたがゆえに、チャンスを求めてわたってきたという人々の国になる。それがアメリカならインディアン、豪州ならアボリジニ、ニュージーランドならマオリを虐殺し、新たな支配者として君臨したのである。

 

 日本でも、2500年から2000年ほど前に、そのようなことがあったようだ。

 

 また、新石器時代の縄文人と、稲作時代の弥生人では、顔立ちも使われていた言語も異なっていたというのは周知の事実。弥生人は縄文人より背が高く、顔も扁平である。そのように出来た日本人は、大陸系と縄文人の混血によって形成されたようだ。

 

 筆者は過去に3.5年ほどNZに滞在していたが、NZでは土着のポリネシア系マオリ族と英国系欧州人が交じり合うことで、新種のNZ人が生まれた。それとよく似ている。

 

 縄文人は、奈良時代や平安時代には蝦夷(エミシ)と呼ばれた狩猟民族であるが、縄文人なのであるから、もともとは日本全国いたるところにいたはずであった。それが、渡来人と、そして渡来人と縄文人の混血によって、日本の端っこに追いやられた。

 

 その証拠に、北海道のアイヌと沖縄に古くからいた人々に、遺伝的な類似性が見られるそうだ。

 

 民族形成と同時に、日本語の成り立ちも判明する。

 

 日本語は、モンゴル語や韓国語と同じ「アルタイ語族」という言語系統に属する。なるほど、韓国語と日本語は文法が似ており、発音もところどころ似ている。モンゴル語はよく分からないが、似ているということだ。

 

 韓国人は日本語がうまいし、白鳳らモンゴル人力士も日本語がうまい。つまり、単語さえ覚えてしまえば、ラテン語からの派生である欧州語使用人が他の欧州系言語を簡単に覚えるが如く、覚えやすい関係にあるのである。

 

 ここで話は変わるが、日本が古墳時代から飛鳥時代に入った当時、仏教が伝来した。同時に、多くの渡来人が様々な技術を伝えるために、日本に渡ってきた。現在、人口減少に悩む日本は技術を持つ外国人の移民政策に本腰を入れ始めているが、それと似たような政策だ。

 

 渡来人たちは風俗にも大きな影響を与えたようで、古墳時代の男性の髪型を見ると、男性なら横に束ねた髪型が見られなくなり、昔の中国みたいに、総髪で頭上や後ろで髪を束ねるヘアスタイルが一般的になった。服装も1枚の布に頭を通すだけの穴をあけた単純なものではなく、上下を分ける服装が一般的になったようだ。

 

 宮廷のあり方も、建築様式も、何から何までかなりの影響を受けている。

 

 さて、渡来人。彼らは仏教の伝来と共に、仏像を大量に作成した。奈良や京都には国宝・重要文化財級の仏像がたくさんあるのであるが、注目されるべきは、その顔立ち。とても日本人のものではない。

 

 では中国系かというと、われわれ日本人が思い描く典型的な中国人の顔ともやや違う。といっても、中国は多民族国家で、血も交じり合っているため、何が典型的な中国人の顔なのかはいまいちよく分からない。

 

 興福寺に阿修羅像があるのであるが、その顔立ちは、モンゴル系のものとよく似ている。もともとモンゴル系...というか、あのへんの騎馬民族は、北朝鮮の北部や中国東北部発祥で、清や金、あるいは契丹という国家を現在の中国に建設した民族。始皇帝の頃は「匈奴」と呼ばれ、度重なる南方侵略により、始皇帝に万里の長城を築かせている。

 

 匈奴族は「フン族」として、ローマ帝国末期に遠くは東欧まで大遠征を敢行した民族であるから、日本などは目と鼻の先といってもいい距離である。この民族が大量に日本に移民してきた可能性も非常に高い。

 

 ともあれ、国宝・阿修羅像を代表とする天平時代 (日本国家成立当時)の仏像は、モンゴル系の顔立ちなのである。大勢やってきた渡来人は、中国・韓国・モンゴル系の人々であって、先進国の技術や文化を持つゆえに、日本の支配者層に君臨したようだ。

 

 現在の日本語は、つまりはモンゴル系の言語であるアルタイ語系けであって、国家成立当時の支配者言語として使用されていたようである。それが、被支配者層の使う在来の日本語とミックスされ、大陸と隔絶して方言化し、現在の日本語にたどり着いたようだ。

 

 稲作に話を戻すと、彼ら渡来人の持ち込んだ稲作は、新たな渡来人が持ち込んだ技術のおかげで、大いに拡大した。鉄器を使用し、灌漑設備を整え、陸稲から水稲栽培への以降を確立し、それによってますます貧富の差は拡大し、王権が強化されたことはいうまでもない。

 

 大化の改新の奈良時代には、高句麗・百済・新羅による三国時代が終止符を迎え、新羅によって統一王朝が築かれた。その時、百済や高句麗(民族は中国東北部に端を発するツングース系、つまり、阿修羅像の顔の人々)の人々がどっと倭国(日本)に渡来してきたであろうことは、想像に難くない。

 

 彼ら古代日本にやってきた新たな支配者層は中国北方系である。天皇家は万世一系なのであるから、天皇家、その親戚である貴族、平安時代に貴族から派生した武士...これらの元は全て同じところに行きつくようだ。

 

 日本人は、中国北方系と縄文人の混血である。同時に、弥生時代以降の稲作文化の拡大により、肉食中心から農産物中心に食生活が大きく変化、それは人間の骨格や顔立ちにまで影響を与えたはずである。

 

 つまり、現代の日本人の外観を形成したのは、弥生時代から奈良時代にかけての混血、そして稲作文化が発達したことによる食生活の劇的変化であると結論づけられるのである。